1994年2月26日。 | |
無謀にも素人だけで伏せ焼きに初挑戦したのでした。 | |
この日から飽くなき戦いが始まったのです。 | |
まさしくOYFCの二・二六事件。 | |
翌日、窯を開けると無残な結果。すぐに2度目の挑戦です。 | |
焚口に工夫を凝らしましたが、炭らしいといえたのはほんの少し。 | |
何がまずかったのか議論が続き、煙突にも工夫が必要との結論でした。 | |
そして3月12日。3度目の挑戦になりましたが、参加者は少なく、子供も動員。 | |
キャンプに行ってもたき火をするのが難しいですから、こういう火遊びは子供にとって最高なのでしょう。 | |
でも結果には満足できませんでした。 | |
ついにGWまで挑戦は続いたのでした。テントを張っての1泊伏せ焼きです。このスタイルが現在の恩田の伏せ焼きの原形となっています。しかし炭の出来栄えはイマイチで翌年、鶴見先生の指導を受けることとなったのです。 |